分部町唐人踊り[分部町唐人踊保存会]
分部町唐人踊り(わけべちょう とうじんおどり)
江戸時代の「朝鮮通信使」をまねたものとされ、隊列をなし、止まってはラッパを吹き、笛や太鼓の音に併せて「歓喜の踊り」を舞います。
唐人踊りの歴史
江戸時代
分部町唐人踊り(以下、唐人踊り)は、祭礼が始まってすぐの寛永13年(1636年)に分部町(現;東丸之内)の出し物として行われるようになったのが起源とされています。
津まつりが始まって約20年後の明暦2年(1656年)に、山中為綱が伊勢国に関する最も古い地誌である『勢陽雑記』を完成させており、当時の祭礼行列の次第が記されています。その中に「六番分部町 唐人」とあり、当時の唐人行列の様子をうかがい知ることができます。
当時の唐人行列は、100人以上の人々が参加して行われていたようで、現在の数倍もある大規模な行列だったようです。しかし、当時の唐人行列には現在のような踊りはなく、衣装も現在と異なるようです。
嘉永年間(1848年~1854年)には、唐人行列の持ち物に旗や幟、楽器が持たれるようになったようで、少しずつ現在のすがたに近づいているようです。
明治時代~昭和時代
やがて幕末にかけて他の町の出し物は大きく変化したり、中には途絶えたりするものもありました。明治時代に入ると、からくり人形の豪華な山車や芸妓踊りなどが多くなる中で、唐人踊りは明治、大正、昭和と続けられました。
しかし、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)7月の空襲で、大幟以外の装束や面などが焼失し、しばらくの間は中断しました。
戦後、昭和31年(1956年)に分部町唐人踊保存会が発足し、焼失した装束や面などが復元され、唐人踊りが復活しました。
平成時代~現在
平成9年(1997年)には三重県無形民俗文化財に指定され、津市だけでなく三重県の財産にもなり、現在まで受け継がれています。
※当初は踊りがなかったとされることから、当記事では江戸時代までを「唐人行列」、明治以降を「唐人踊り」と表記しています。現在では行列と踊りの両方が見られるため、「唐人踊り行列」などと呼ばれることもあります。
唐人踊りのすがた
唐人踊りは、江戸時代の「朝鮮通信使」をまねたものとされています。この唐人踊りの「唐人」とは、現在の中国や朝鮮半島の人々だけではなく、広く外国人を指していると考えられており、朝鮮通信使など外国人の行列を見た当時の人々が、様々な場面を取り入れて”異国風”の行列を催したものと考えられます。
現在の唐人踊りの行列は、町印の車を先頭に、大旗(昇り龍)、清道旗、ラッパ、踊り、笛、鉦、大太鼓、小太鼓、令旗、大将、傘持ち、中官、ささら、清道旗、大旗(降り龍)の順に構成されています。 津まつりでは、雅楽の越天楽を基調にした「道ばやし」とともに巡行し、津八幡宮の氏子の家々で笛や太鼓の音に併せて「歓喜の踊り」を舞います。
唐人は、赤や白、黄色と鮮やかなロッペと呼ばれる衣装を着用します。お面は、踊る人、ラッパや笛を吹く人など、それぞれ役割によって表情が異なり、その多彩な表情は喜怒哀楽を表しているとされています。
全国に残る3つの唐人踊り
朝鮮通信使を由来として現在でも伝承する芸能は他に、毎年4月に須賀社の牛頭天王春祭(三重県鈴鹿市東玉垣町)で行われる唐人おどりと、毎年10月に牛窓神社の牛窓秋祭り(岡山県瀬戸内市牛窓町)で行われる唐子踊のみとされています。このうち、実際に朝鮮通信使が通過したとされる地域は岡山県瀬戸内市のみで、なぜ朝鮮通信使が通過していない津市と鈴鹿市にこうした芸能が残っているのか、理由は定かではありません。しかし、いずれの唐人(唐子)踊りも今日まで多くの人々に親しまれ、津市の唐人踊りでは津まつりの花形として受け継がれています。
分部町唐人踊保存会
かつて分部町(現;東丸之内)の人々により受け継がれてきた唐人踊りは、現在は分部町唐人踊保存会により受け継がれています。分部町唐人踊保存会は昭和31年(1956年)に発足し、戦災で焼失した装束や面などとともに唐人踊りを復活させ、現在まで唐人踊りを受け継いでいます。
また、平成4年(1992年)からは市内の児童たちを中心に子ども唐人も行われるようになり、将来の唐人踊りの担い手を育成しています。
近年では、津まつり以外でも唐人踊りが披露されており、市内外の様々な行事でも活躍しています。
唐人さんの家
唐人踊りが受け継がれる東丸之内(旧分部町)に、かつて唐人さんの家がありました。
唐人さんの家は唐人踊りを伝える民営の郷土芸能資料館で、平成13年(2001年)5月27日に開館し、入場料300円(中学生以下は無料)で誰でもいつでも訪れることができました。
唐人さんの家では、現在の津まつりにて使用されている装束や道具類のほか、戦災での焼失を免れた昔の道具類や写真など、唐人踊りに関する貴重な資料が展示されており、ただ眺めるだけでなく、実際に装束や道具類を手に取って体験できる、体感型の資料館でした。
しかし、資料館の運営、維持が困難となり、大変残念ながら平成17年(2005年)2月28日に閉館してしまいました。
唐人さんの家の閉館後も、当時立ち上げられたホームページは残されており、現在でも当時の唐人さんの家の様子や唐人踊りの歴史などを知ることができます。
※写真は唐人さんの家ホームページより転載
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