八幡獅子舞[津民芸保存会]
八幡獅子舞(やわたししまい)
かつては正月15日に舞う格式を持ち、江戸時代の終わりまで受け継がれていました。その後、一時衰微しましたが、明治時代後期から大正時代初期までは秋の祭礼後40日の間、氏子各町を舞い続けました。昭和41年(1966年)からは、津民芸保存会により現在まで受け継がれています。
獅子舞は全国各地に多く存在し、日本のお祭りでは最も多くみられる芸能の一つとなっています。その中でも、八幡獅子舞は金の獅子頭に白い胴体と他の獅子舞では見られない珍しい獅子で、八幡獅子舞の特徴の一つとなっています。
八幡獅子舞の歴史
江戸時代
寛永年間(1624年~1644年)に神輿の先達として雄獅子と雌獅子が行列に加わったのがそのはじまりとされています。
明和年間(1764年~1772年)には鈴鹿・郡山の獅子舞が津城で正月十一日に舞ったと記録されており、この鈴鹿・郡山の獅子舞より舞い方を学び、八幡の雄獅子、雌獅子が舞ったとされています。
八幡獅子舞は古来、かつて舞われた観音獅子に続いて正月15日に舞う格式を持ち、江戸時代の終わりまで受け継がれていました。
明治時代~昭和時代
いつしか衰微していましたが、明治31年(1898年)に復活し、再び鈴鹿・郡山から学び、 大正初期まで秋の祭礼後40日の間、氏子各町を舞い続けました。
第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)7月の空襲でその当時の獅子や道具類が焼失してしまい、しばらくの間は中断しました。
戦後、昭和41年(1966年)に津民芸保存会が結成され、入江和歌囃子とともに同保存会によって八幡獅子舞が復活され、継承されるようになりました。
平成時代~現在
平成17年(2005年)に津市指定無形民俗文化財に指定されました。
現在の八幡獅子舞は、津民芸保存会により受け継がれており、津まつりでの巡行のほか、毎年1月1日に行われる津八幡宮の歳旦祭にて舞が奉納されています。
八幡獅子舞のすがた
かつての獅子頭は、藤堂高虎公が伊予より津へ移封された際に、かつて舞われた観音獅子の獅子頭とともに持参したものとも言われています。また、藩政時代にはうるう年にその兄弟獅子が伊予より津を訪れ、舞ったとも言われています。
観音獅子は額に角を生やしたやさしく赤い獅子でしたが、八幡の雄獅子は額に玉をいただき厳めしい金の獅子で、観音獅子とは対照的であったと伝えられています。また、八幡獅子の獅子頭は雄獅子の鼻皺が三段、雌獅子は二段であったとされ、椿の木でつくられており、5貫目(約18.75kg)もあるとても重いもので、口歯をがたがたとしかできず“八幡のがたがた獅子”とも言われていました。
明治時代に復活した際には、獅子頭の中をくり抜き、軽くして舞いやすくしたようですが、昭和20年(1945年)7月の空襲で焼失してしまいました。
戦後になって復元された獅子舞は、津民芸保存会により現在まで受け継がれています。
津まつりでは、津八幡宮より氏子町を山車とともに巡行し、門舞と本舞を披露しています。八幡町の巡行や津まつり大パレードでは、他の郷土芸能に続いて津八幡宮の神輿の1つ前を巡行し、かつて神輿の先達として舞われていた名残を残しています。
また津まつりのほか、毎年1月1日に行われる津八幡宮の歳旦祭でも舞が奉納されています。
津民芸保存会
かつて神輿の先達として舞われてきた八幡獅子舞は、現在は津民芸保存会により受け継がれています。津民芸保存会は昭和41年(1966年)に発足し、戦災により一時途絶えた八幡獅子舞と入江和歌囃子を復活させました。その後、現在に至るまで八幡獅子舞と入江和歌囃子を保存・継承しています。
近年では、津まつり以外でも八幡獅子舞と入江和歌囃子が披露されており、市内外の様々な行事でも活躍しています。
0コメント