しゃご馬[津しゃご馬保存会]
しゃご馬(しゃごうま)
明治時代までは、津市近郊の一部の村落でも似た芸能が見られたそうですが、現在は津市で見られるのみとなっています。怖い顔をしたしゃご馬が、ほら貝や陣太鼓、錫棒に合わせて踊り、市内を駆け回って、時に子どもを泣かせる姿は津まつりの風物詩となっています。
しゃご馬の歴史
江戸時代
津まつりが始まった江戸時代初期に行われるようになったとされています。
起源については諸説ありますが、一説によると、萱町(現;万町)の出し物「石引」の先達として出現したとされています。
津まつりが始まって約20年後の明暦2年(1656年)には、山中為綱が伊勢国に関する最も古い地誌である『勢陽雑記』を完成させており、当時の祭礼行列の次第が記されています。その中で、行列の3番目に「かや町 石ひき」があり、その一文に「籠馬乗二人」と記されています。この「籠馬」が現在のしゃご馬であり、しゃご馬が祭礼の始まりと同時期に登場していたことをうかがい知ることができます。
明治時代~昭和時代
元々は魔除けとして神輿や行列の前後を駆け回るだけでしたが、明治時代に入ると2~3の町で独立した出し物となりました。
明治末期から昭和14年(1939年)頃までは、中茶屋(現;栄町一丁目)、新魚町(現;東丸之内)、堀川町(現;東丸之内)に受け継がれていました。しかし、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)7月の空襲で、戦前の衣装や道具類は他の多くの出し物と同じように焼失してしまい、しばらくの間は中断しました。
戦後、昭和45年(1970年)に復活し、現在では津しゃご馬保存会により受け継がれています。
平成時代~現在
平成9年(1997年)に津市指定無形民俗文化財に指定され、現在に津まつりでは欠かせない、津市が誇る郷土芸能となっています。
明治時代までは、津市近郊の一部の村落で羯鼓踊(かっこおどり)や神輿のさきぶれとしても、しゃご馬と似た芸能が見られたそうですが、現在は津市で見られるのみで、貴重な存在となっています。
しゃご馬のすがた
しゃご馬の衣装は、江戸時代には袖鎧を着た立派な騎馬武者姿だったようですが、明治から昭和初期には鎖帷子風の刺し子襦袢を着た姿となり、現在では陣羽織を着用するのみと、時代が進むにつれて軽装になってきています 。
津まつり当日は、陣羽織に怖いお面と馬の胴を着けて市内を走り回り、時に子どもを泣かせる姿は津まつりの風物詩となっており、津の子どもたちにとっては恐怖の存在であると同時に、しゃご馬に追いかけ泣かされることで厄が払われ、強く成長していきます。
かつては神輿の先達として神輿や行列の前後を駆け回っていたようですが、現在では独立した出し物として、ほら貝や陣太鼓、錫棒に合わせて氏子宅の前で踊り、氏子町を練り歩きます。
しゃご馬の由来
しゃご馬の発想は、戦へ出陣の際に騎馬の鎧武者が殿の御前で勇壮に舞う姿を真似たものと考えられています。また、しゃご馬の名は、頭に付ける赤毛のかつら「しゃぐま」、もしくはかごで作った「かご馬」がなまって「しゃご馬」になったとされる衣装や道具類に起因する説や、しゃご馬が舞う際に聞こえてくる「しゃんしゃん」という音に起因する説、「社護馬」を由来とする説など、様々な説が考えられています。
津しゃご馬保存会
現在のしゃご馬は、津しゃご馬保存会により受け継がれています。津まつりでは、津しゃご馬保存会の会員の他、中学生以上の賛助会員を毎年募集しており、会員、賛助会員らが津まつりのしゃご馬を盛り上げます。
現在では市内の児童たちを中心に子どもしゃご馬も行われ、将来のしゃご馬の担い手を育成しています。
近年では、津まつり以外でもしゃご馬が披露されており、5月頃に行われる郷土芸能ふれあいフェスティバルや11月に行われる一身田寺内町まつりなど、市内外の様々な行事でも活躍しています。
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