津まつりの起源

 津まつりは元来、「八幡宮祭礼」と呼ばれたお祭りで、約400年前から現在へと続く、歴史ある神事です。
 津藩の二代目藩主である藤堂高次公は、寛永9年(1632年)に千歳山(現;垂水)に祀られていた八幡宮を現在の地(八幡町藤方)にうつし、八幡宮を津の町の総鎮守に定め、奉仕のために八幡町を設置しました。その後、八幡町をはじめ、各町に祭礼を執り行うよう推奨・保護したのが、津まつりの始まりとされています。
 各町は競って趣向を凝らした華やかな山車や行列を繰り出し、年々盛大となったまつりが、現在の津まつりの起源とされています。

寛永9年(1632年)

 津藩の二代目藩主である藤堂高次公が、千歳山(現;垂水)に祀られていた八幡宮を現在の地(八幡町藤方)にうつし、八幡宮を津の町の総鎮守に定め、奉仕のために八幡町をつくりました。


寛永12年(1635年)

 祭礼が毎年行われるようにと、藤堂高次公は八幡宮に銀子10貫目を寄付しました。その後、八幡宮はこの銀子を町人に貸し出し、その利息金を費用として充て、祭礼を執り行うようになったのが津まつりのはじまりとされています。

 この銀子10貫目の寄付など、八幡宮の祭礼は津藩により奨励、保護されました。やがて各町は競って趣向を凝らした華やかな山車や行列を繰り出し、年々盛大になっていきました。


郷土芸能から見る祭礼のはじまり

 しゃご馬や分部町唐人踊り、八幡獅子舞は、今も昔も津まつりの名物となっています。これらの芸能は、津まつりが始まった江戸時代初期に登場したとされており、祭礼初期のすがたを今に伝える貴重な存在です。

 八幡獅子舞は、寛永12年(1635年)に祭礼が始まった当初に神輿の先達として祭礼行列に加わったとされており、明和年間(1764年~1772年)には舞曲の最も優美な鈴鹿・郡山より舞い方を学び、八幡の雄獅子、雌獅子が舞ったとされています。

 分部町唐人踊りは、祭礼が始まった寛永13年(1636年)に登場した出し物で、江戸時代の「朝鮮通信使」をまねたものとされています。朝鮮通信使を由来として現在でも伝承する芸能は他に、毎年4月に須賀社の牛頭天王春祭(三重県鈴鹿市東玉垣町)で行われる唐人おどりと、毎年10月に牛窓神社の牛窓秋祭り(岡山県瀬戸内市牛窓町)で行われる唐子踊のみとされています。

 しゃご馬は、江戸時代初期に萱町の出し物「石引」の先達として登場したとされています。明治時代までは、津市近郊の一部の村落で羯鼓踊や神輿のさきぶれなどとして同じような芸能が見られたそうですが、現在は津市でのみ見られ、長く津市民に親しまれています。


 このように、現在の津まつりの代表格である郷土芸能の多くは、祭礼が始まった当初から長く市民に親しまれ、今に伝わっています。これらの芸能が登場した江戸時代初期には、他にも様々な出し物が市内を練り歩いたようで、総勢1750人もの参加者が豪華な衣装や造り物で群衆が囃し踊る行列を構成したとされています。長い歴史を経る中で、その多くはすがたを消してしまいましたが、しゃご馬や分部町唐人踊り、八幡獅子舞は、その当時の祭礼のすがたを彷彿とさせます。

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